2013年3月2日(土) 福島の子どもたちの現在(いま)、そして未来(これから) ~福島に生きる人々と手を携え、ともに歩くために~ 第11回月1原発映画祭のご報告

3月2日(土)福島市よりフリージャーナリストの藍原寛子氏をお迎えして、「福島の子どもたちの現在(いま)、そして未来(これから)」をテーマに取材映像を見せていただきながら2011.3から現在の取材時のお話を伺いました。

ご紹介

藍原寛子さん 福島市生まれ、元福島民友新聞社記者。マイアミ大学客員研究員。フィリピン大学客員研究員。フリーランスのジャーナリストから国会議員公設秘書を経て、再びフリーランスのジャーナリスト。
現在の仕事
・日経ビジネスオンライン「フクシマの視点」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110708/221371/?RT=nocnt
・ビデオニュース「福島報告」、http://www.videonews.com/fukushima/
・ビッグイシュー日本版「被災地から」
・朝日新聞ウエブRONZA×SYNODOS「復興タイムズ」http://fukkou-arena.jp/journalism/
(以上は定期出稿。その他、単発で河北新報、週刊朝日などに出稿)
映像とお話(藍原さんの発言は太字にしてあります)

はじめに

私は震災当時、国会議員の政策秘書でしたが、未曾有の原発事故後、私の地元である福島の孤立状態を目の当たりにし、非常に強い怒りを感じました。「今必要なのは政治から働きかけることではない。福島に直接マンパワーを届けることだ」という思いから、仕事をやめ、車で援助物資を配り始めた先で、被災者から「情報が足りない」という話を何度も聞いたことが「再び福島の地元を取材し伝えてゆく」きっかけになりました。「情報が足りない。本当のことを教えてほしい。誰も教えてくれない。だから本当のことを知りたい」。その思いからそれに少しでも近づくために地元での取材活動を続けています。

あまり他では取材がされることのない内容を中心に震災から現在までを通してお話していただきました。

2011年3月からの状況です。
・校庭の除染に関しても、文科省からは指針も何もない中、保護者からの要請で除染を始める自治体もあり対応はまちまちでした。
・独自判断で除染した郡山市に対して文科省から必要ないという「指導」がありましたが、二本松市、福島市などでも除染の動きが始まり、地元の政治的な判断で除染が始まっていきました。
・メディアに殆ど取り上げられなかったことで私が取材した印象的なニュースとしては、「朝鮮初中級学校の児童・生徒の集団疎開」がありました。特別学校なので学校判断で行動ができた部分があったとの事です。新潟の「朝鮮初中級学校」の寄宿舎に先生と生徒で共同生活を2011のGWから2学期終了まで続けました。
・南相馬市の学校では1つの学校に4つの学校の生徒が通う事態になっていました。
→その後、校庭などに建設したプレハブの仮設校舎で児童たちは授業を受けていましたが、校舎の除染が進み、放射線量が下がったなどとして、平成23年度のうちに本来の校舎での授業を再開しました。

取材を通して全体的に
「外で遊んでも大丈夫」と言われてもその根拠となるデータがないことが大きな不信感を抱くことにつながりました。なんの前例もなく「わからないことばかり」の状況から「わからないなら自分達で考えて行動するしかない」になっていった時期でした。
校庭除染の要望が通り、校庭に重機が入ったが、重機の大きさに対し子どもの小ささが際立ち非常に無力感を感じました。

2012年
・千葉県の歯科クリニックを中心として、乳歯の保存活動も始まっています。これは歯の中のストロンチウムの蓄積を測定することで、被ばく量推定など放射線の影響の有無を確認したり、万が一被害が出た場合には補償の根拠となることなどを目的としたものです。福島市内の理容室では、カットした毛髪を袋に入れて手渡すということも始めています。
 乳歯の保存については、県側が消極的であるということを示すニュースが昨年末に報じられました。それは、福島県議が2011年秋の県会で内部被ばくを調べるための乳歯保存事業の有効性や妥当性について質問した際、県が県民健康管理調査の検討委員に対して、「乳歯保存の必要性はないと拒否できるような根拠を提出するよう求めるメール」を送信していました。これは2012年12月に毎日新聞が報道したことにより明らかになりました。
・平成23年10月から、震災当事18歳未満だった子どもを対象にした甲状腺検査が始まりました。子どもの甲状腺はとても小さくて、一般の検査技師では判断が難しく見逃しが発生する可能性は否めないと感じました。がんの確定は、摘出後の甲状腺の組織を見て悪性腫瘍があって確定するというものです。
甲状腺がんはゆっくり進行するから、今疑いが生じても、事故とは関係ないという見方がありますが、それはチェルノブイリの事故(4年以内のデータが殆どない)を基準に捉えているからです。チェルノブイリでも早い時期からがんになった人がいますが、それはデータとしては残っていません。私はチェルノブイリを基準にすべてを線引きしてしまう考え方は納得がいくものではないと考えています。

交流カフェでの質疑応答から

Q:なぜ福島の人はみんな黙ってしまうのか?それを知りたい。今福島の人は何を望んでいるのですか?
A:声を上げられないことの理由のひとつには、今までのすばらしい環境が原発事故によって破壊され放射能汚染されてしまったことに対する大きな喪失感があります。
また、歴史的に、福島という土地は自由民権運動が盛んだったのですが、非常に大きな弾圧を受け完膚なきまでに叩きのめされた土地でもあります。
政治家の汚職事件も非常に多くて、お金が上から下に流れる図式になっています。その下にいる県民はそれに逆らうと、ひどく弾圧されるという構図ができあがってしまっているのです。現に、福島は首都圏に電力を送る実践所のような有様で、既に今まで東電に多くの土地を押さえられてしまっています。そしてそれに対して県や県民が何かを決めることができないという状況に押さえ込まれてしまっているのです。福島の構図は全国の原発のある自治体と同じです。

Q:地元住民は道一本はさんだ違いで、「補償が出た、出ない」「除染した、しない」などの問題で一緒に声を上げることができなくなって分断されています。今後住民の分断はさらに進んでゆくと思いますか?
A:対話がなくなる、対話する回路がなくなることが分断に大きく影響してしまっています。対話する回路を保てるようにすることが大切だと思っています。住民が分断することで、この原発災害は矮小化されてしまいます。それで利するセクターが分断を放置し、住民同士をけんかさせ、福島県民の自信を喪失させているのです。お互いの立場の違いを認めながらも、この原発震災で何が起きているのかということを冷静に把握して、実態を訴えていくことが大事だと思います。

Q:東京の人は一見もう事故を忘れているように見える人もいます。そういう人のことを福島の人はどう思っているのでしょうか?
A:そういう風に見える人は福島にもいます。でも表面的にはそう見えても何かが3.11
以前とは絶対違うのです。全く同じではありえないほど大きなことが起こったのですから。

交流カフェでの参加者の発言から

・(報道記者の方)2年近くたって、関心がある人と無い人の差が大きく出ているように感じています。忘れようとしているように見える人もいて日本人としてこれでよいのかと思っています。阪神大震災の時はメディアにもう少し余力とお金があったので記者をたくさん派遣して色々な記事が書けました。今はメディアにお金がないので記者派遣も少ない気がしています。読者もどんどん目を背けつつあるようでこのままでは危ない気がしています。藍原さんのように記録をする人と記憶をする人が必要だと思っています。

・(宮城の南部の出身で飯館村にも近いのですが)福島県民も東京都民も県や都だからと言って十把ひとからげにはできないと感じています。子どもの保養プログラムにしても宮城というだけで福島より機会が断然少なくなってしまっている現状があります。

最後に藍原さんから

事故の被害にあった地元の人達は「よくこんなところにいられるね」「避難したほうがいいんじゃないの?」などという外からの一言にものすごく反応してしまうのです。心配のあまり言ってくれていることが分かっていても、本当は自分の中に「避難したほうがいいかな」という気持ちがあっても、それまでの自分の人生や生活が否定されたような気になってしまうところがあるのです。福島や周辺の地域の方々に接する時には、まず最初は震災前の福島がいかに良いところだったかということを承認して欲しいし、それが事故によって失われたことに共感しながらコミュニケーションすることから始めてほしいのです。それが外の人と福島の人のいらぬ分断を避ける方法のひとつではないかと思います。
子どもたちにはできるかぎり保養をさせてあげたいと思っています。被ばくについては研究者の間でも見解が分かれている問題です。行政が何らかの意見を採用する場合、複数の分析方法や研究論文から様々な説があることを紹介して市民の意見を取り入れるなどしてもいいと思いますが、どうもそれが明確ではなく、行政に都合のよいものが採用されて、他の意見が取り入れられない可能性があると思います。確定的にものが言えない段階でのセカンドベストの選択として、子どもたちの保養や疎開というのは重要な選択肢だと思います。放射能の問題は「絶対に大丈夫」という確信が持てることはありません。絶対ということは絶対言えないのです。何にしてもそこには「幅」があります。

だから今本当に真実が知りたくて、一生懸命取材しています。私が目で見て耳で聞いて頭で考えて納得できる客観的な答えを真実として皆さんに伝えて行きたいのです。

そのほかにもここでは伝えきれなかったお話や質疑応答がたくさんありましたが、WEBに載せる関係で今回はこのような形でまとめさせていただきました。

今回の交流カフェカンパは経費を差し引いて¥6000になり、
藍原さんの取材活動に寄付させていただきました。ありがとうございました。

当日のアンケートより感想

・福島の人々の置かれた状況に改めて思うところが色々ありました。分かりやすく新しい発見がありました。分断をつくらない姿勢と真実を伝えることは大変難しい問題です。

・福島からの直接の声がきけてとても勉強になりました。具体的なデータや取材をもとにしたお話で現実がよくわかりました。勉強になりました。

・普段は知ることができない事をより身近にみることができてほんとうにありがたかったです。特に子ども達の生活の様子などの情報を発信してくださってありがとうございます。

・木のぬくもりが感じられまた来たいと思いました。スープおいしかったです。

・藍原さんに直接質問しお話が聞けたし、他の様々な方の考えも聞くことができ新しい発見があった。これから原発のことを知っていくためのよいきっかけとなった。

(かわむら)

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