月1原発映画祭の報告

第30回 月1原発映画祭「元原発技術者と一緒に原発PR映画を観る」トーク動画

【第30回月1原発映画祭/交流カフェ】
「元原発技術者と一緒に原発PR映画を観る」
ゲスト=小倉志郎さん(元原発技術者)

2014年10月4日に開催した第30回月1原発映画祭/交流カフェでは、
福島第1原発の技術者として35年間(1967~2002)働いた小倉志郎さんを迎え­、
一緒に原発PR映画を観ながらお話をうかがいました。
映画は福島第1原発の建設が始まった1967年と営業運転を開始した1971年に製作­されたもの。
まさに小倉さんが仕事を始められた時期と重なります。
当時のようすとご自身の体験からどんな話が飛び出すか・・・?

YouTubeの動画はこちらよりご覧ください。

2014年7月5日(土) 第27回月1原発映画祭/交流カフェ イアン・トーマス・アッシュ監督トーク

2014年7月5日(土)に開催した、第27回月1原発映画際/交流カフェで映画「A2-B-C」を上映しました。この時ゲストとしていらっしゃいました、イアン・トーマス・アッシュ監督のトーク動画を公開しました。

YouTubeへのリンク

トークには映画「フタバから遠く離れて」の舩橋淳監督も参加されています。

2014年7月5日(土) 第27回月1原発映画祭/交流カフェ「A2-B-C」上映+ゲスト:イアン・トーマス・アッシュ監督開催報告

7/5、第27回月1原発映画祭が終了しました。
前日の東京新聞夕刊に上映作品の「A2-B-C」と
監督インタビュー記事が大きく載ったので、対応に大わらわ、
満席でお断りした方には申し訳なかったです。
7/26にレイバー映画祭で上映されますので、
未見の方、ぜひお出かけください。
http://www.labornetjp.org/news/2014/0726eiga

この映画、ほんとうは日本中のお茶の間でみて、共有したい内容です。
甲状腺検査で見つかったのう胞などが
原発事故と関係あるのかないのか、
それがきちんと証明されるのは先のことかもしれませんが、
現に診断された子どもたち、その親たちは不安を抱えたまま
毎日を暮らしている、将来の心配をしている。
これは誰が何と言おうと今の福島(日本)のひとコマなのだということが
ずしりと伝わってきます。
イアン・トーマス・アッシュ監督は
「原発事故との因果関係がわかってからでは遅い。
あとになって、もっと子どもたちを守ればよかったと後悔するより、
あの時は心配しすぎたねと言うほうがいいじゃないですか」
と話されていました。
イアン監督はご自分の感情をまっすぐに語りながらも
言葉や物腰がとても奥ゆかしく、
映画の中で子どもたちやお母さんたちが心をひらいていたのが納得です。

2014年6月7日(土) 第26回月1原発映画祭/交流カフェの松村直登・藍原寛子対談動画

2014年6月7日(土)に開催した、第26回月1原発映画祭/交流カフェの松村直登・藍原寛子対談の動画を公開しました。

YouTubeへのリンク

こちらの動画は、今回のゲストの松村直登さんを主人公として描かれた「原発20キロ圏内に生きる男」の上映を行った後に行われた、松村直登さんと藍原寛子さんの対談の様子です。

※松村さんの名前を「村松さん」と何度か言いまちがえました。
ごめんなさい!!(藍原寛子)

2014年4月5日(土) 第24回月1原発映画祭+交流カフェの報告

第24回月1原発映画祭では、騎西高校に避難した双葉町民のドキュメンタリー映画「原発の町を追われて 避難民・双葉町の記録」を上映するとともに、同映画監督の堀切さとみさんをお招きしてお話をお伺いしました。

堀切さんが夜の部だけでなく昼の部にもお越しくださったので、昼のほうでもも上映後トークと質問タイムをお願いすることができました。
旧騎西高校避難所の最初の1年を記録した正編、県内避難の町民と騎西高校避難の町民の分断・対立があらわになっていく続編を観て、さらに堀切さんのお話をうかがうと、年を追って問題が深刻に複雑になっていくことがよくわかります。
堀切さんは、さいたま市で学校給食調理の仕事をされながら、避難所に通いつづけてこの映画を制作されました。
一市民の目で取材・撮影し、率直な言葉で語る堀切さんの姿勢に共感した方が多かったようでした。

堀切さとみさんのお話

みなさま、こんばんは。本日はお集まりいただきありがとうございます。堀切さとみと申します。埼玉県さいたま市からまいりました。わたしは給食の調理士として小学校で働いています。
震災があり、原発事故から一週間くらいたった2011年3月下旬に、南相馬、大熊、双葉、富岡、浪江といった福島県浜通りからたくさんの人びとがさいたまスーパーアリーナに避難してきました。放射能のことを考えると、自分自身このまま埼玉にいていいのかという不安がありました。そこへ浜通りのかたがたが避難なされてきたので、彼らと出会って話を聞きたい、この大変さを共有したいという強い思いがこみあげてきました。炊き出しのボランティア以上に自分になにができるかと考えてみると、とにかくもっと人々の話を聞きたいと思ったこと、そして、以前からドキュメントリー映画が好きで、2008年に市民メディアセンターというところで映像を学んでいましたので、記録として残すことはできないだろうかと思いました。これが「原発の町を追われて 避難民・双葉町の記録」を撮影することになったきっかけです。

本編には双葉町の人びとが騎西高校で生活する様子が記録されています。騎西高校の避難所が閉鎖されるまでの2年9か月、みなさん教室にたたみを敷いて和室をつくり、その部屋を段ボール等で区分けして複数の世帯が共同で生活していました。騎西高校はあくまでも一時避難所としての機能です。プライバシーがありません。お風呂も学校内にないので、銭湯にかよいます。食事は朝昼晩の3食ともお弁当が配られました。ふつうのコンビニで売られているようなお弁当です。学校設備として給食調理室がありましたが、埼玉県が避難している人に対して校内での火器使用の許可を最後までださなかったため、自分たちで調理をして食事をとるということができませんでした。お弁当ではカロリーが高すぎたり、栄養がかたよってしまうと考える人、逆に、高校に長居するつもりはないからお弁当でよいという人や、食事を自分たちでつくることになれば、当番を決めたりするのにもめるだろうと考える人もいて、それぞれの受け止め方がありましたが、やはり食事をつくることができないというのが一番苦しいと訴えていました。

騎西高校には毎日たくさんのボランティアの方々、慰問の方々がおとずれて、イベントが開かれ、食べ物が配られていました。ご高齢のみなさんは双葉町にいたころ、農作業をしたり、手仕事をしたりして、毎日暮らしにちからがあったといいます。しかし騎西高校に避難していると、毎日何もすることがなく、張り合いのない長い一日となっているとおっしゃっていました。朝起きて、お弁当を取りに行き、食事をして、洗濯物をとりにいったらそのあと何もすることがないという暮らしです。「ここには自分の暮らしはない」とおっしゃられている方もいました。こんななか、校舎の一室で書道教室をひらいた書家の方もいらっしゃいます。老若男女がこの小さな学び舎につどいました。近くの借り上げ住宅に移られたご高齢のかたがたは、車で迎えにきてもらわないと騎西高校のサロン(談話室を兼ねたカフェ)に出かけていくことができない状態です。

若い方々、働き盛りの方々は毎日埼玉で仕事を探しておられました。わたしは埼玉県民ですが、埼玉で仕事を見つけるのは、わたしたちでも難しいのです。仕事がなければ生活はどうする?お金はどうする?というふうになり、埼玉ではなかなか仕事が見つからないので、福島県にもどり、隣接したいわき市に居住して、そこから原発内の工事や除染の仕事をするという人々が多くなっていました。原発のために忠実に何十年も働いてきたのは地元の人間です。事故が起こって遠くの知らない土地へ避難しても、仕事を探して福島に帰り、戻っても仕事がないので、再び原発関連の仕事をするしかないというのが今の現実です。これまで原発で働いて、さんざん被ばくしてきているのだから、今さらそれほど考えなくてもよいという人がいます。以前、被ばくというのは原発内の仕事でごく限られたところでだけおこったことでした。事故後の福島では一般の住民を巻き込んだ生活領域全般で被ばくが起こっています。この点が事故後大きく違ってきているところです。福島に帰り、とりあえず原発の仕事がある。とりあえずはなんとかなる、しかし、これで終わってしまいます。原発とともに生きてきた双葉町民はこれだけの事故があってもなお、原発とは切っても切れない関係であるということころがとてもせつなくひびいてきます。

また、外部からは「精神的慰謝料」として東電から月々お金をもらっているのだから、別に働かなくてもいいじゃないかという意見もでています。しかしこれも単にお金があれば働かなくてもいいという問題ではありません。仕事やいきがい、つまり人間が生きいていくうえでの原動力となる部分がとりあげられている状態です。これまでなんらかの仕事をしてきた人々にとっては、精神的にかなりきつい状況であると思います。

双葉町にかぎらず、原発のある町の人びとは、原発が事故をおこしたとしてもなかなか原発に反対することができないのではないか、反対しにくいのではないかと思います。
福島原発の事故後、加須市に双葉町民のみなさんがいらしたとき、とても遠慮がちにくらしておいででした。加須が自分たちの地元ではないということでそうであったのかもしれませんが、ひかえめに、お世話になりますという感じでした。
たとえば双葉町にいたときには町民が東電からいろんな名目で手当をもらっていたという事実があります。福島のなかで原発についてなにも恩恵をうけてこなかった自治体も放射能汚染地帯となったため、双葉町民にはなおさら「自分たちは長年東電からお金をもらってきて、恩恵もあったのだから、このような事故にあってもなにもいえないのではないか。自業自得ではないのか。なにも言ってはいけないのではないか。」という引け目やジレンマがあるように感じました。わたし自身は彼らの姿を見て、復興のためになんとか声をあげてほしいと思っています。映画を撮ることにより、人々の感情の変化を感じました。

事故後3年がたち、風化が進んでいます。しかし、震災・原発事故の大変さは3年たってからというそうです。実際、仮設住宅でも自殺する人や孤独死が増えています。原発がもたらすものはなんなのかということです。本日は上映していただき、たくさんのかたがたにご覧いただけたことに感謝いたします。ありがとうございました。

2014年5月10日(土) 第25回月1原発映画祭+交流カフェの報告

5/10に第25回月1原発映画祭が終了しました。
「YouTubeの原発関連動画をみんなで観よう」
という安直な企画にもかかわらず、
台湾ビーフンの魅力か、会場はほぼ満杯になりました。
会の進行も、2回に分けたビーフンの炒めに合わせて微調整、
美味しい!と大好評でした。
美観(ビーチン)さん、ごちそうさまでした!

上映した動画は以下の通りです。
未見の方はぜひご覧になってみてください。

★沢田研二「一握り人の罪」(7分)
http://www.youtube.com/watch?v=bUw7BLeUChU

2014年3月に発表された、原発批判の新曲。

★台湾の反原発のテーマソング「子どもの大空」(孩子的天空)(5分)
http://www.youtube.com/watch?v=-xZYuYQnyC8

原発監視ママ連盟(媽媽監督核電廠聯盟)の依頼で作られ、
多くの有名歌手たちがレコーディングに参加。

★ドイツZDF「フクシマの嘘 其の参」(43分)
https://www.youtube.com/watch?v=-VrJ4DlwyEk

ドイツ国営テレビ放送ZDF制作のその1、その2に
新たな取材を追加して1本にまとめたもの。

★「abita」(4分)
http://vimeo.com/51297975
ドイツ在住のShoko Haraさんのアニメーション。
放射能のため外で遊ぶことができない福島の子どもたちの夢と現実を描く。

★シリーズ 原発フェンスを歩く(全16回、各7〜8分、最終回13分)
http://news.tbs.co.jp/newsi_sp/fence/
キャスターが原発を囲むフェンスに沿って歩き、
地元の人の声をひろうTBSニュースバードの番組。
全16か所の中から、再稼働に向けて最優先審査中の鹿児島県の川内原発(Vol.1)と、
茨城県の東海第二原発(Vol.14)・・・これは参加者の中に
IWJ茨城中継市民として活動する方がいらしたので上映し、
今年4/27に東海村・豊岡海岸で実施された東海第2原発バルーンプロジェクト
のことなど話していただきました。
http://tokaihairo.jimdo.com/

★原発20キロ圏内に生きる男(18分)
https://www.youtube.com/watch?v=llM9MIM_9U4

立ち入り禁止の警戒区域にひとり残り、
町に取り残された動物たちの世話をしている、
双葉郡富岡町の松村直登さんを紹介。
これは次回予告としてアタマのほうのみ上映しました。

会の最後に、陳威志(ダン・ウィジ)さんに
台湾第4原発の建設凍結の真相をききました。
反対の声を押さえるために建設をいったん保留にし、
いずれ頃合いをみて「建設中止」を問う国民投票に持ち込み、
「国民の賛意が得られなかった」として建設を再開する、
というのが政府の腹づもりとのこと。
やっぱりね・・・という感じです。
(台湾の国民投票法のからくりについては、
第19回月1原発映画祭の報告をご参照ください
http://www.jtgt.info/?q=node/397

さて、次回はゲストに「原発20キロ圏内に生きる男」の松村さんと、
福島在住のジャーナリストの藍原寛子さん(昨年3月の回のゲスト)
をお招きして対談していただきます。ご期待ください。

第1部 上映と対談
18:00〜19:30(参加費500円、定員30名)
・上映
「原発20キロ圏内に生きる男」
https://www.youtube.com/watch?v=llM9MIM_9U4
「原発20キロ圏内に生きる男 続編」
https://www.youtube.com/watch?v=NIhUP1RqaNU
など予定。
・ゲスト対談:松村直登さん・藍原寛子さん

第2部 交流カフェ
19:45〜21:00(参加費500円・軽食+1ドリンク付き、定員20名)

詳細、申込みフォームは追ってご案内いたしますので、
今しばらくお待ちください。
どうぞよろしくお願いいたします。

2014年3月1日(土) 第23回月1原発映画祭/交流カフェ 菊池京子さん「県民健康管理調査と甲状腺検査 これまで、そして今、こんなことが起こっています」の報告

「県民健康管理調査と甲状腺検査 これまで、そして今、こんなことが起こっています」

お話:菊池京子さん(フリーライター)


こんばんは。菊池京子と申します。わたしは福祉関連、特に介護の分野でのライターをしております。出身が福島県いわき市で、高校卒業まで暮らしました。現在家族もいわきに住んでおります。福島原発事故はまさに自分と自分の家族に起きた大きな出来事となりました。事故当初、わたしの家族は東京都北区に避難し、その後、都内の都営住宅で10か月の避難生活をしたあといわきに戻りました。長年東京に住んでいる自分といたしましては、福島と東京の橋渡しができるといいなあという思いで活動してきました。本日は福島県の県民健康管理調査(2014年から名称が変更となり国民健康調査となりました)と甲状腺検査についてお話させていただきます。

1.県民健康調査とはなにか

この調査は、県民の被ばく線量評価と健康調査を目的としたものです。福島県民約200万人を対象に、2011年6月末から開始されました。福島県が福島県立医大に委託したもので、5つの内容から成り立っています。

1) 基本調査
2) 甲状腺検査
3) 健康診査
4) 心の健康と生活習慣に関する検査
5) 妊婦に関する調査

基本調査は、問診表が福島県から県民ひとりにつき1通郵送されてきます。5人家族であれば一家に5通届きます。0歳からご高齢の方々まで、すべての県民にこの問診表が送付され、原発事故発生当時から2011年7月までの行動を記録させて、外部被ばく線量を推定するものです。たとえば事故当時はどこにいたか、どのように避難したか。道筋、交通手段、屋外にいた時間、屋内にいた時間、車内にいた時間、宿泊や滞在した場所等々細かく記載していくことになります。自宅待機を強いられていた時期、学校へ通うようになった時期についても、屋内にいた時間や屋外にいた時間をはじめとして、1日1日の行動を時間単位で記載します。調査回収率をみると、記載事項が多く煩雑になってしまうということから、2013年9月末で県平均25%となっています。

甲状腺検査は2011年10月初旬から開始されました。対象者となったのは事故発生当時18歳以下であった子供たち約36万人です。そのうち検査を受けた人は対象者の約63%にあたる22万6千人。検査は3年がかりで県内を一巡しました。
エコー検査が基本で、判定により二次検査へと進み、必要によっては甲状腺に針を刺して組織を抽出する穿刺細胞診がなされます。
ここで「悪性腫瘍、あるいは悪性の疑い」と診断された場合は「要手術」となります。結果判定は4つに分類されています。

判定 結果 対応
A1 結節や嚢胞を認めなかった 平成26年度以降の2巡検査まで経過観察、待機
A2 6.0mm以下の結節や20.0mm以下の嚢胞がある 状態によって2次検査へ
B 6.1mm以上の結節や20.1mm以上の嚢胞を認める 2次検査へ
C 甲状腺の状態から判断して、直ちに2次検査を要するもの 2次検査へ

2014年3月1日(土) 第23回月1原発映画祭/交流カフェ 権上かおるさん「福島・除染現場の現実」の報告

2014年3月1日、地域から未来をつくる・ひがし広場 第23回月1原発映画祭は、福島・除染現場の現実について権上かおるさん(環境カウンセラー)、県民健康管理調査と甲状腺検査について菊池京子さん(フリーライター)のお二人をお迎えして、現在福島では何がおこっているのかをテーマとしてお話をお伺いしました。

今回は、この報告会での権上かおるさんのお話を掲載します。菊池京子さんのお話は後日掲載予定です。


「福島・除染現場の現実」

お話:権上かおるさん(環境カウンセラー)

本報告のPDF版

こんばんは。権上かおると申します。材料分析や専門書の出版を職業としています。並行して長年、環境NGO酸性雨調査研究会で大気汚染や酸性雨を中心とした環境調査活動を行っています。このような経験から、原発事故以来「おそれて、こわがらず、放射能に立ち向かって暮らす」という情報発信をはじめ、生活者と科学者の橋渡しになることができればと活動してまいりました。また、福島の除染現場に立ち会う機会も多くなりました。最近では福島原発から流れ出す汚染水のニュースに隠れ、除染に関する報道は少なくなっています。本日は現在福島で行われている除染について、実態と問題点をお話させていただきます。

1. 除染とはなにか?

今回の事故がなければ 「除染」という言葉を耳にすることはなかったという方々が多いのではないでしょうか。除染とはなにか。環境省は次のように定義づけています。

「除染とは、生活する空間において受ける放射能の量を減らすために、放射性物質を取り除いたり、土で覆ったりすること」

環境省 除染情報サイトより「除染進捗マップ」

除染の対象となるのは地図で色がついている地域です。放射性物質汚染対処特措法に基づいて定められています。福島県のみならず、岩手県、宮城県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県および千葉県下の市町村にわたっているのがお分かりになると思います。除染について、管轄官庁の主体は環境省になっています。
まず、放射線量により、1)除染特別地域(楢葉町、富岡町、大熊町など11市町村)と、2)汚染状況重点調査地域に分かれます。2)に該当する地域は福島県内の福島市、郡山市をはじめとして1)以外のすべての地域が入ります。中央の円のなかには、環境省が目指す除染目標が描かれています。環境省は線量によって地域分けをし、それぞれの地域ごとに目標を置いています。では福島第一原発から 20-30km 圏内、居住者がいる地域での除染はどうなっているのかを具体的にみていくことにしましょう。

Jan. 11, 2014 11th anti nuclear power film festival - Keiko Kochiya talk

日本語版はこちら

On January 11th, as the new year, 2014 started, Higashi Hiroba which sets a goal to construct our future through community activities, held the 21th ANP (Anti Nuclear Power) film festival. In this January meeting, we had a special guest, Ms. KOCHIYA Keiko, the woodblock artist/painter, who introduced her Karuta, the traditional Japanese style card game, featuring the theme of ANP.
Here is her excerpt:

Hello everyone, my name is Kochiya Keiko. Thank you for coming today in such a cold weather. I am a woodblock artist. I usually work with carving and printing. Occasionally, I work to create picture book when I find something that particularly interests me in day-to-day events.

When the news of 9-11 broke, I thought it was going to be a war somewhere, in fact anywhere anytime. As an artist with creative mind, I strongly felt that there must be something I could do against this kind of act. I asked my artist friends to work together, and began working to have an “exhibit for No War” with them. I thought that the unspecific, abstract expressions, often adopted in such exhibits, would only leave viewers with the impression in great ambiguity. This time, I decided to make anti-war statement in much more accurate and specific terms and with this determination in mind, I started drawing pictures. The exhibit was a success and had become an annual event. We counted 8 times of this “exhibit for No War” before the 3-11 disaster happened.

Reading the news of 3-11 on the newspapers, I came to realize the scare of radiation and radioactive contamination the NPP accident spreads as the imminent threats to our environment. Further, as it became apparent that the process of news carefully being filtered and tailored, I had a feeling that this manipulation is in larger scale than we might think, involving the whole society.

Gradually the overwhelming anger and sense of betrayal inside of me took the form into phrases and pictures and I had produced a set of card game, in traditional Karuta format.

Here is an example:
Yu: Yuchishita Genpatsu Kuruzo Okkane
(Yu-for the syllabic letter Yu- : The NPP we invited is now coming; does it bring a scare or a lot of money?)

This is a pun, a play on words. NPP launch has double sides to the nearby communities, dividing their residents into two groups: On this card, I draw the picture of two different types of people. Those who welcome NPP and are pleased with the big money in their hands vs. those who are shaking out of radiation scare.

【中国語版】月一核電電影節 ──《貢寮你好嗎?》上映會暨交流咖啡記錄

[日本語版の報告はこちら]

翻譯:陳威志

「從地方創造未來・東區廣場」(地域から未来をつくる・ひがし広場)所舉辦的「月一核電專題電影節」,在2013年11月2日這一天邁向了第19回。8月時,我們曾放映台灣的紀錄片《貢寮你好嗎》,這一次將再次放映。

影片名稱:《貢寮你好嗎》

導演:崔愫欣
2004年發行 台灣綠色公民行動聯盟出版

本次邀請陳威志(Tan,Uichi)先生擔任與談人。陳先生目前就讀於一橋大學社會學博士班課程,在2005年到2008年間,服務於台灣的環保團體「綠色公民行動聯盟」,曾與當時綠盟的副祕書長,也就是《貢寮你好嗎》的崔愫欣導演,造訪祝島、廣島、北九州等地進行放映暨交流座談。

此次的放映會共有23人觀影,其中有18人留下來參加會後的交流咖啡,而陳威志的妻子呂美親,與8月放映會的與談人李怡修同學也出席了本次交流會。比起上次的討論,這次的觀眾發言更加踴躍且熱烈,由此可看出日本民眾對於台灣議題的關心程度。

以下,擷取部分內容刊載如下。建議閱讀時可對照劇情介紹,以及上一次交流咖啡記錄(http://www.jtgt.info/?q=node/387)。

交流咖啡

陳威志:在談論台灣核四問題前,我想先談一談戰後台灣的歷史背景,因為既有的社會分歧與政治對立,對於反核運動的開展有很大的影響。

以下我想先從族群與政治體制切入。

Theme by Danetsoft and Danang Probo Sayekti inspired by Maksimer