2023年8月20日(日) プリズンアカデミーカフェin青猫書房~死刑と司法を考える テーマ:網走訪問 報告 報告:市原みちえと岩瀬恵子(永山則夫最後の面会者)と(子どもの本屋・青猫書房社長)

いのちのギャラリーからの夏の便りを送ります。

  8月6日、9日、15日。改めて鎮魂と、反核、非戦の誓いの日々。台風6号、7号の動きも気がかりです。 我が家も青猫書房も1級河川荒川流域です。豪風雨の恐ろしさも他人事とは思えません。 備えといってもどこへ避難したらよいやら~ですが。まずは健康で、逃げる体力も維持して。どうぞ、被害がありませんように。熱中症にもくれぐれもご用心ください。

 8月1日に永山が処刑されて26年。今秋は、永山少年が事件を起こして55年になります。永山則夫の反省が生かされ、子どもたちが幸せに育つ社会へ。今後も、永山の残したものを役立てたいと思います。変わらぬご支援をお願いします。

夏の便りを更新しました。

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ご案内
8月20日(日)午後、網走訪問報告会をします。

去る6月6日~8日。 北海道が賑やかになる前、初めて永山則夫さんの生まれ故郷を訪問してきました。

 +9月26日~30日,再訪の予定が急遽きまり、バタバタしています。
初訪問の興奮が冷めないうちに、聞いていただきたいこと+日が経つにつれ、なぜか増えている課題など、報告して一緒に考え、再訪につなぎたいと思います。
  ご都合がつきましたら、どうぞ、お出かけください。 よろしくお願いします。

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8月20日(日)13:30 ~16:00 (受付13:00)のご案内
プリズンアカデミーカフェin青猫書房~死刑と司法を考える
テーマ: 網走訪問 報告 報告:市原みちえと岩瀬恵子   
   (永山則夫最後の面会者)と(子どもの本屋・青猫書房社長)
参加費: 1000円。ユース25歳まで/生活困窮者割500円
参加者特典: 東京都写真美術館の企画展「風景論以後」入場招待券を贈呈します

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詳細は、添付ファイルに。

以下は、関連情報・今後の予定などです。
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 永山事件から55年の今年の秋の永山関連イベントなどの御案内です。

☆8月11日~11月5日 企画展「風景論以後」
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4538.html
永山関連 展示:永山則夫の『無知の涙』の原ノート1と2。    
永山の初期の著書の装丁家、赤瀬川源平作品 ポスターなど
8月24日夜  上映とトーク:「略称・連続射殺魔」
主催・会場 東京都写真美術館

☆10月11日~11月6日 永山則夫が残したものin青猫書房
展示:「なぜかアバシリ」(自筆原稿。33枚)網走の風景・今昔。
トーク:「N少年の彷徨」 ゲスト:足立正生さん✖阿部晴政さん    
   (「略称」監督✖河出書房新社で永山担当・現在フリーの編集者)
主催:いのちのギャラリー

☆9月27日午前、北海道網走市呼人でも映画を見る会が開催されます。
(市原も参加します)

☆『永山則夫全小説集』(著書名 仮)2巻。出版社「共和国」より
10月頃刊行。編集:阿部晴政さん
https://www.ed-republica.com/

<追記 >
チラシには書いていませんが、訪問してから分かってきたこと。いくつかあります。 次回の調査訪問の課題でもあります。

1 永山則夫が生まれたは、「呼人番外地」です。 が、則夫3歳の頃、市内に転居。 市内でも2回?転居しているようですが、青森の母に引き渡される前に住んでいたところは遊郭のある街の一角だったようです。証言と地図と郷土史と小説から。

網走100話 秘められた庶民の歴史(昭和63年 網走市教育委員会発行)
その朗読が公開されている。
「14.人呼んで八丁目は遊郭 https://www.youtube.com/watch?v=ZPa6XqwvemU

「心が震える傑作」北の遊郭とたこ部屋 https://news.kodansha.co.jp/20170314_b01 『凛』 「竹中直人監督により映画化された『自縄自縛の私』の、蛭田亜紗子さんの作品。開拓時代の北海道の過酷な歴史と、現代の若者の現実をつなぐ物語です。・・」

なお、ご存知と思いますが、
5歳だった4男永山則夫が,「捨て子」状態の厳寒の6か月を網走で生き延び、三女、次男、三男と共に母のもとに送られ、育ったのは、青森県の板柳町。
母が、網走から同行していた次女、4女、姪の4人が住んでいた家は、戦争引き上げ者用住宅。通称「マーケット」呼ばれ、「特殊飲食街」の長屋の一角でした。 (本人の作品にも表現・記あり)

遊郭で育った子どもの物語やドキュメンタリーを探していますが、今のところ夏目漱石が幼児期住んだ祖父母家の周りが妓楼??です。永山自身は幼すぎて、5歳ころ自分が住んでいたところが遊郭の近くだった?とは知らなかったし、たぶん獄中でも知ることはなかったようです。

2 網走番外地の映画と高倉健の歌の影響は、呼人の子どもたちにも影響があったとの複数の証言がありました。
「修学旅行で、どこから来たと問われて、網走からといったら、刑務所から来たか。と言われた。」「永山さんはそうじゃないと説明してくれる人が身近にいなくてどんなにか苦しんだだろうか」
札幌在住に人からは「今もそうなの。転勤する先がアバシリと聞くと、最悪だという人、今もいる。」

3 市立図書館には郷土資料室があり。
・網走にゆかりの作家の作品として、永山則夫コーナーがあり。 開架式で貸し出しているが、ボロボロになっても廃棄しない。 永久保存扱いとなっている。
同じ郷土資料室には、
・「網走番外地」全シリーズの」ビデオが石井輝夫監督の資料保存関係者から寄贈され、DVD化したものを貸し出しているとのこと。

4 帽子岩 永山則夫が唯一記憶している固有名詞「帽子岩」
帽子岩は、略称。 アイヌの言葉で「チパ・シリ」。網走の名前の由来ともいわれる。(諸説ある) https://www.bojan.net/2014/11/22.html が、大正12年にケーソンドックの一角になった。

網走港帽子岩ケーソンドック https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/421 土木学会選奨土木遺産 推奨の理由 「天然の岩盤を掘削したケーソン製作専用のドライドック。寒冷地海洋環境下のコンクリートケーソンによる築港技術を確立した。」 などなど

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